2008年 10月 01日
Ten years ago 〜 10年前の10月のフェア 〜
そして初代Aクラス(W168)が日本で発売されて、今年で10年目を迎える。その10年前の10月のフェアで、全国的にAクラス(A160)が披露された(と思う)のだが、それで、ちょっと当時の事を思い出したしてみた。
最初にAクラスの事を知ったのは「97年のル・ボラン誌の3月号」だったと思う。当時は、車の買い換えのために毎月車雑誌を買っていた頃だったので他誌にも出ていたと思うが、何故かこの時の事を印象的に覚えている。巻頭に写真と数ページの記事が載っており、あまり詳しくは紹介されていなかったけれど、男女が笑顔でAクラスに乗っている写真を見て「おぉおぉ!」と来てしまった。
それまでの車の概念から桁外れに未来的なデザイン、しかも燃料電池車の構想もある。もう、これだけでグッと心を奪われてしまった。
だが、メルセデス車だ。世間では「ベンツ」と呼ばれ、個人的には一番嫌いなブランドの「オヤジ車」の印象が強かった。それに安くとも300万円は下らないと書かれていたのを見て、当時ポロを購入希望の第一に考えていた身としては、ちょっと買えないと思っていた。
その後、紆余曲折して結局ポロは買わず。
そして翌年98年の10月、ヤナセから突然ダイレクトメールが届いた。
それまで当地のヤナセには一度行った事がなかったし、DMなんて来た事がなかったので、どうやって住所を探したのか疑問に思った。だけど、それは夏頃だったか当時のメルセデスベンツのHPにAクラスについてのアンケートみたいものがあり、それに書いたものだった。
つまり、それは今で言う所の「フェアの案内状第一号」であり、Aクラスの価格が「265万円」だと知った事で、当時ゴルフ4に傾いていた気持ちが一挙に傾いた時でもあった。しかも、粗品は「Aクラス特製の腕時計」だったので、これは行くしかないと思った。
ただ、当時の私はボロボロのシビックフェリオに乗っていて、とてもヤナセなんぞに乗り付けるには恥ずかしい車だと思った。そこで4歳になる娘をダシにして、近くのショッピングセンターに車を止めて歩いてヤナセまで行ったのを覚えている。
本当は日本でも、もっと早く発売される予定だったけれど、例の「エルクテスト」での事件以来、発売が延期されていた。今から考えると、これもタイミング的には良かったと思う。
ただ世間では、ひっくり返った車としての認識が強くて「大丈夫か、あんな車」と同僚から冷やかされていた。
でも「そんなの関係ねー!」の気持ちの方が大きかった上に、今では当たり前になったエネルギーに対する開発が同じAクラスで行われていると言う先進性の方が勝っていた。
まあ、そんなこんなで、やっとヤナセに到着。
確か日曜日のお昼過ぎだったと思うが、受付は異例で外の駐車場にテントが張られていた所だった。後にも先にも、こんな所で受付やっていたのは初めて。とりあえず案内状を渡すと「腕時計は品切れとなっております」との事で、残り物のフェアの粗品から何故かSAABのタオルを貰った。粗品が無くなったと聞いたのもこの時だけ。それだけ人が見に来たって事なんだと思う。
Aクラス(A160)もショールーム内ではなく外に2台ぐらい置かれていたのを覚えている。その内の1台が、買うならこれかなと思っていた「ジャングルグリーン」だった。
ただ、この色は想像より少し明るい色だったし、もう一台の「エンバーレッド」は太陽光下で見ると朱色がかった色でハデだった。
まあ、色はあまり深く考えず、ジロジロ見ていると、うっすら頭の薄い営業のオジサンが「どうぞ乗ってみて下さい」と言ったので、とりあえず乗ってハンドルを握ってみた。と言っても、この時は試乗車はなかったし試乗車が出てきてのは2ヶ月ぐらい後だったと思う。
サイズ的には初の3ナンバーなので、大き過ぎるのではないかと心配したが「小さい車が好み」だったので丁度良いサイズに感じた。確認したのは、これだけで営業マンの名刺とカタログを貰ったのは覚えているが、後にこの営業マンと関わる事はなかった。
しかし、この時はまだ半信半疑だった。本当にこの車で良いのか決めかねていたし、納車時期を訪ねたら「1年後です」と、サラリと言われたのだ。もうこの時は、かなりのバックオーダーを抱えており今では考えられないぐらい超人気車だった。
それを聞いて、予算的にはギリギリだったし、翌年の6月には通すつもりのないシビックの車検を迎えていたので「やっぱり諦めよう」と思った。
そして娘の手を引いてヤナセを後にしたのだが.....たぶん、つづく。
げに恐ろしき女の勘・・・(^^;
・・・すべてお見通しだぁ~!
それから数年間Aを忘れてたのですが、ドアミラーマカー付きの後期型に思いが蘇り購入しました。
しかし、Bクラスの威張った生意気な顔とサーフライン?(古)に惚れてしまいました。
96年の夏に3代目ポロが日本に上陸(事実上、初上陸のようなものですね)し、すぐオーダーを入れました。
94年のヨーロッパデビュー以来、徳大寺先生のあの本を読んで首を長くして待っていたものです。
それに、愛車の84年製スターレットが黒煙をまき散らしていたもので・・・。
結局、半年後の97年3月に納車になりました。
Aクラスがもう少し早く上陸していたら、私もオーナーになっていたような気がしますね。
5年後、ポロを手放すときにAクラスを1週間代車で乗りましたが、正直、やっぱりポロの方がよくできてる!MB初のFFコンパクトだし、すぐにはVWには追いつけないわなぁと思いました。
まぁ初物に飛びついたばかりに、ネガには結構苦しめられましたけど。
現行のAクラスはよく知りませんが、コンパクト好きな私には未だに気になる存在ですね。
するどいね~ヒメの勘はw
あ、でもそれはない(予定)。
>>まこやん
A160の発表会って、この時のヤナセ?
チェイサーって自ら高級車と名乗っていた車じゃん。
これからA160に乗り換えっていうのも凄いギャップじゃなかったですか?
>>ロイヤルポロさん
ポロはもう少しタイミングが遅かったら買ってたかも。
今でもポロは気になってますよ。何時かチャンスがあれば欲しい車です。
チェイサーは高級グレードじゃなくてスポーツグレードのツアラーSでモスグリーンでした。強化サスに入れ替えてましたが、A160の方が硬くてロールしなかった。それより硬いのが今のB200。
次はコンフォート系にしたいですが、カッコ優先で選ぶとまた硬くなるかも?